トントントン。
包丁がまな板をたたく微かな音に、僕は目を開けた。
キャンプ用の簡素な布団にくるまれたまま見上げた砂漠の空には、まだ星が瞬いている。
けれど、寝ぼけまなこをこすりながらゆっくりと体を起こすと、遠く巨神獣の端がわずかに白んでいるのが見えた。夜明けが近いのだ。
「…起こしてしまいましたか?」
背後から、砂漠の風にかき消されそうなほどの小さな声が聞こえてきた。僕は首を後ろに回す。
シンが、包丁を片手に握って立っていた。包丁の音の主は彼だったようだ。
「ああ、いや、気にしないでくれ…いつもこんなにはやくから支度してたんだね」
彼らと出会ってから、今日はどんなものが食べられるのだろうと、目が覚めるのが楽しみになっていた。
だが、こんなにはやくから支度をはじめていたとは。まな板の上には、刻んだ色とりどりの野菜が並んでいた。
「ええ、人数も増えましたから」
「そうか、すまないね」
「いえ、好きでやっていることですから」
お互い小さな声でささやきあう。
周囲の仲間たちはまだ眠っていた。昨日はモンスターの討伐に明け暮れていたので、みな疲れているだろうから、まだ、寝させていてあげたい。
それがお互いの暗黙の了解であった。何となく、通じ合っていることがくすぐったかった。
音を立てないようにゆっくりと彼の方へ近づき、彼が簡易の調理台に並べた食材を見ながら、今日のメニューは何かな、なんて会話をする。
今日は魚のグリルです。そんな返答を聞きながら顔を上げると、シンの姿に昇り始めた太陽が重なる。
「どうかしましたか?」
どうやら、彼をじっと見つめていてしまったらしい。
彼のいぶかし気な声に、ハッと我に返る。
太陽が、シンの白い髪、白い衣装を赤く染め上げていたのだ。
「いや、何でもないよ。邪魔しちゃったね」
まさか、あまりに美しくて、なんて返答はできなかった。だけど、イーラの秘宝と呼ばれたのは何もその強さだけではないのだろうな、と思わせるぐらいには絵になる美しさだった。
シンは小首をかしげたが、僕の返答を聞いたら、そのまま朝食の準備に戻るためにこちらに背を向けた。
包丁の小気味よい音が、また静かな朝に響き始めた。
その音はまるで刻々と変わる時を刻んでいるかのようで、トントンと響くたびに彼の背中は赤く、黄色く、そして青く変わっていく。
その背中は、僕が追いかけていたかもしれない背中だった。
彼の背中を見つめながら、僕の心は過去へ遡っていく。
彼はイーラの秘宝だ。17年前に盗み出されるまでは、僕が暮らした王城の宝物庫にコアクリスタルの状態でしまわれていた。
自分のブレイドを欲しがった僕に、父は約束を交わした。15歳になったら、イーラの秘宝との同調を許可すると。
農村で10歳になるまで育った僕は、王宮という今までと全く違う環境に慣れず、どんな時でも自分の味方になってくれるだろうブレイドが欲しかったのだ。しかし、同調は危険を伴う。まして、次の国王候補として呼ばれた僕をそんな危険にさらすわけにもいかない。だから、15歳まで待つようにと言われたのであった。
約束をしてから、僕は毎日のようにそのコアクリスタルを眺めにいった。嫌なことも嬉しいことも全部報告した。彼が、いつか自分のブレイドになると信じて疑わなかった。
でも、盗み出されてしまった。宝物庫のコアクリスタルがあったはずの場所は荒らされ、跡形もなくなっていた。その惨状を見た僕は、数日寝込んだらしい。寝込んだ記憶はないのだけれど、それすら忘れてしまうほどあまりにショックだったようだ。
父が落胆ぶりを見かねて代わりになるブレイドを用意しようとしたが、それも叶わなかった。素性の知れないブレイドと同調を試すのは、身体的にはもちろん、王族としての威厳にも関わるという理由だった。
僕も、他のブレイドと同調する気はさらさらなかった。楽しかったことも嬉しかったことも嫌なことも聞いてくれたのは彼だったからだ。もちろん、コアクリスタルだった彼から返答なんかないのだけれど。
今だったら答えてくれる。まだ、誰も目を覚まさない世界で二人、あったかもしれない未来を思い描ける。
そっと口を開きかけた時だった。
「ふあぁあ…あ、おはよ。シン」
彼のドライバーであるラウラがも、ぞもぞと目を覚ました。
「おはよう、ラウラ。顔を洗ってくるといい」
「そうね…ふふ、やっぱり起きたらシンの朝食があるって最高ね」
シンが、僕へ向けたのとは違う優しいまなざしでラウラに微笑む。
ラウラも、嬉しそうに顔をほころばせた。
僕の開きかけた口からこぼれそうになった言葉は、砂漠の風と共に消えていく。
妄想は、妄想のままでいい。
シンのドライバーはラウラだ。
昇り始めた太陽が、二人の影を砂漠の砂の上に落とす。寄り添う二つの影は、そうあることを、肯定するかのようだった。
「…アデル、何してるの」
寝起きのどこか不機嫌そうな声にふりかえる。
瞳をこすりながら起き上がってきたのは、ヒカリ。
「なんでもないよ」
僕は、僕のブレイドにそう笑いかけるのだった。
彼女の姿を太陽が照らして、輝いていた。
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